大学受験の思い出

今日から大学入学共通テスト。
これから大学入試(一般入試)のシーズンが始まる。
  
  
  
  
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大学受験の思い出はたくさんある。
東京の私立大学を3校うけ、それらの大学からは結局合格切符だけいただいて行っていないのだが、受験しに行ったのはいい思い出になった。
試験そのものよりも前後に東京で見た様々な光景のほうがずっと刺激的で印象が強かった。
入試どうだった→うん、東京はすごく刺激的だった というような頓珍漢な会話をしてしまうほどだった。
なにせ一人で東京に出るということ自体が初めての経験だったというのもあったと思う。
私大は3校受けたが、日程の近い2校セット+1校で2回上京している。
  
  
  
  
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当時、高校の担任に「東京の私立大学はあまり『保険』にならないから関西の大学も1つ受けてはどうか」と言われたが、かたくなに拒んだ覚えがある。
そもそも保険となる大学を3つも受けたのは、自分なりに「やや挑戦気味」「成績相応」「安全」の3校の組み合わせを、手続きの期限など睨みながら(入学金の期限などを考慮しないと複数振り込まなくてはならなくなる。家庭にそんな負担はかけられないと)考えたつもりだった。
今もそうだろうが、関西の私立大学と関東の私立大学では日程が重なっているわけでもなく、京都方面の大学を受けることもできたはずだが、拒んだ。
関西の大学に合格したところで、入学金の払い込み期限の関係上、合格切符をどぶに捨てることになると考えていたからだっただろうか。
それもあったが、関東の私大だけにした(関西をはじめから考慮しなかった)のは東京への憧れがあったかもしれない。
一人で行ったこともないのに。
そして受験のための2度の上京を経て東京のエキサイティングな面を垣間見た私はその憧れを強くした。
私大をすべて受け終わった後は、東京に行きたいと強く思った。
  
  
  
  
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それもあったので、あのとき国立大学に落ちて東京に出ることになっていたらどうなっていたんだろうと若いころは想像したが、さすがにこの年齢になるとそういう想像はしなくなった。
東京に出ていたら、おそらく大垣には帰っていない。
つまりこの塾はなかっただろうと考えると、出なくて正解だったと思うからだ。
  
  
  
  
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そういえば大学受験をしていた2月、私立大学を全部受け終わった後(国立の2次試験の前)か、一回目と二回目の上京の間だったか忘れたが、インフルエンザにかかった。
ベッドで「落ちる!落ちる!」と叫んでいたそうだ。
入試に落ちるという意味でなく、本当に体がすーっと落下するような感覚を夢の中で味わっていた記憶がある。
何度もインフルエンザにかかったわけではないが、あのときのインフルエンザが今までの人生で一番きついインフルエンザだったかもしれない。
今でも記憶がある。
  
  
  
  
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