卒業生が東大に現役合格!

賢学塾第19期生が
東大(理Ⅰ)現役合格!
おめでとう!
 
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お昼過ぎ、本人から連絡をもらいました。
本当におめでとうございます。
いやあ、心の底から嬉しかったです。
ウチの塾は中3までなので、
これも賢学塾の誇る教育システム
KGJインテグレーテッドエデュケーショナルプログラム」のおかげです、
なんてことはないんですが
(だいたいそんな名前のプログラムない)
(これを機にそれっぽい名前でも作ってみるか(作ってみない))、
まだあどけない小学生のときから高校受験まで、賢学塾にずっと通ってくれた卒業生が、
近年では北高からあまり合格者が出なくなってい(て何とも寂しい状況だっ)た東大に現役合格。
自分のことのように嬉しいです。
 
賢学塾の卒業生からは、たぶん初めてですね。
これまでの歴史の中で(いろいろ聞いた範囲では)
国立の難しいほうだと東工大、東外大、阪大、名大といったところ
私立の難しいほうだと早稲田、慶応、東京理科、同志社、立命館といったところは、
合格・進学を聞いていましたが(上記の中にはもちろん、複数進学している大学もいくつかあります)、
東大と京大はまだ出していなかったと思います。
(もしいたら教えてくださいね。)
(あ、大学に進学された卒業生の方、あるいは就職が決まった卒業生の方は、メールで一声かけてくださると嬉しいです。みなさんがそれぞれの目標に向かって歩んでいる姿が当方の励みにもなります)
(改めてさらっと書いてしまいましたが、この小さく目立たない塾の卒業生のみなさん、上に書いたほかにも結構いろんなところに進学しているんですよ。塾は見かけによりませんね(^_^))
 
大学がどこ、就職先がどこというのはあまり関係なく、卒業生のみなさんがそれぞれ目指した進路へ進み、明るく楽しく前向きに人生を歩んでいる姿を知るときが、私は一番嬉しいのですが、
こと東大に関しては(たいていの卒業生のみなさんならお察しの通り)個人的に大変嬉しいです。
 
公立高校の合格発表はまだですが、
その前に本当に大きなめでたいニュースをいただきました。
木曜日、第22期生のみなさんにも春が来ますように。
 
 
ここで、彼についても話しておきましょう。
彼は中学生のときから既に、学習の枠を超えたところに大いに関心がある子でした。
彼との「授業外」の会話が大変楽しかったのが、今でも懐かしく思い出されます。
ウチの塾の広告が出るたび、もらって帰ってくれる広告ファンでもありました(まあ同じような内容の繰り返しになってきているので、そのうち飽きていたと思いますが)。
勉強については真剣に向き合い、厳しいことも言ったと思いますが、彼と成績をめぐってガツガツやった覚えはありません。
中学校でも1番だったり、そうでなかったりしましたが、彼に「1番を目指そう」とか「ライバルを倒そう」とか1回も言ったことがない(はずだ)し、彼自身、そこに大きなこだわりを持ってはいなかったように思います。
私自身、子どもの頃、中学校で1番だったりそうでなかったりしましたが、もうそのレベルになると、地元の公立中学校で1番をとることにこだわるよりも、もっと大切なことがあると、自分の経験から思っていたからです。
彼に限らず、ウチの生徒が中学校で1番をとってくる(きた)ことは時々あるわけですが、このブログをどれだけひっくり返しても、ウチの塾生が1番をとりました!なんて記事は(たぶん)出てきません。
進学を掲げる塾としてはいけないことかもしれませんが(だからあまり目立たないんでしょうね)、一言で言うと、このレベルの子たちが「先を見据える」というのは、そういうことです。
 
でも、それはたぶん、自分がそういう経験をした人間でないと分からない。
似たようなことは中学受験でもあるんです。中学受験の世界は、自分自身が中学受験を経験した人のほうが圧倒的に向いていると、中学受験一筋の塾講師に聞いて、なるほどなと思ったことがあります。勉強内容の問題じゃないんです。そういう環境に身を置いたかどうかが大事なのです。公立中学→公立高校→国立大学という経歴の自分が手を出す分野じゃないと、今でも思っています。
 
中学校なら1番でも2番でも(周りのレベルが低くない限り)進路は一緒です。
逆にレベルが低ければ、中学校で1番をとったからといって満足している場合でもない。
数点の差で2番でした、負けました、なんてことを悔しがっている暇があったら、もっと視野を広げて、知識と教養と思考の厚みを増したほうがいい。
思い返せば自分が高校生だったン十年前、深い教養と知識を持った同級生を「哲人」とか「師匠」と呼んで、大いにあこがれを抱いたものです。
音楽、文学、哲学、歴史、芸術、語学…本当に優秀なレベルの同級生たちが繰り広げる、純朴な田舎少年だった自分にはついていけない世界の会話に、カルチャーショックを受けた記憶があります。
また、できる人間ほど多芸なのにも驚きました(いっぽう自分にはダジャレを言う話芸しかない。と書いて思ったが、あの頃から何の進歩もないんだな)。
今はどうなのか知りませんが、当時の北高にはそういう雰囲気を持った子たちが何人もいたんですね。
ある意味、大学生のときよりもよほど刺激を受けた高校時代でした。
大人になった今でも、自分自身、中高生の時代にもっとそういうことに力を注いでいればなあと思ったりします。
結果、そういう「厚み」「知の集積」が、一見関係なさそうに見える受験勉強にも大いに関係があるように、当時から思えたのです。
 
彼はそういう「知的活動」を、中学生のときから(ご家庭の環境や自分の意欲によって)実践していたように思います。
中学校の学習や成績の枠の外にあることに、興味・関心を持って取り組んでいたんですね。
当時から既に、私が高校生のときに憧れた「哲人」の卵のような生徒でした。
 
そんな彼からの吉報。
もちろん、高校に入ってから勉学で努力しなければ、こういう結果をつかみとることはできないはずですが、彼のような生徒がこうやって進学していくことには大変意義深いものを感じたのでした。
最初に書いたように、この塾で学んだのは中3までですから、ウチの塾の「実績」などではないのですが、この塾からこういう先輩も出ましたよ、ということは、これから続く子たちに大いに励みにして欲しいなと思います。
 
 
木曜日までとっておこうと思ったお酒、今日飲んじゃおう。
本当に、おめでとう。